なぜ、いま企業にフィロソフィが必要なのか


自社の活動を一生懸命に伝えている。役に立つ情報も発信している。それなのに、共感が得られない。価値が理解されている気がしない。自社の存在理由はいったい何だろう。
こうした悩みは、企業にもNPOにも共通しています。
新しいサービスを始めた。イベントを開催した。プログラムを立ち上げた。そうした情報を発信し続けても、なかなか人が集まらない。メディアにも取り上げられない。発信量を増やしても、成果につながらない。
その原因は、発信の量でも、文章のうまさでもありません。「何を伝えているか」、です。
人はつい、活動内容を説明してしまう
かつて、こんなワークを行ったことがあります。
参加者は二人一組になり、伝える側と聞く側に分かれる。伝える側は、自分たちの組織について語る。聞く側は、伝わった内容をそのままフィードバックする。
すると、ほぼ全員が同じ結果になりました。
それは、何をしている組織なのか。どんな活動をしているのか。いつ、どこで、何を……。それらはすべて、活動内容の説明です。
そして聞いた側からは、その活動内容がそのまま返ってきます。情報としては正確に伝わっていました。事実は理解されました。ところが、そこから共感は生まれてはいませんでした。
ここから言えることは、何をしているかを知っても、人の心は動かないということです。
動くのは、なぜそれをしているのかを聞いたときです。その組織が何を大事にし、何のために在るのか。つまりフィロソフィが見えたときに、はじめて相手は自分との接点を探しはじめます。
自分では、活動の説明が伝える情報だと思っていることがあります。しかし相手が求めているのは、その手前、あるいはその奥にあるものです。この食い違いが、伝わらない原因であることがあります。
なぜ、いまなのか
かつては、活動内容の説明で十分でした。
良いものをつくれば売れる時代がありました。そして、インターネット台頭のあたりから、顧客の課題を感じ取って対応すれば選ばれる時代が来ました。どちらも、より良い製品情報やサービス内容を説明すれば伝わりました。
しかし、いま起きているのは、その次の変化です。
情報があふれ、価値観が多様化しました。声なき顧客はソーシャル・メディアの広がりにより、声をあげられるようになり、顧客ではない非顧客の発言すらも企業活動に影響を及ぼすようになりました。機能や実績で比べれば、似たものはいくらでもあります。そのなかで選ばれる理由は、機能の差ではなくなりました。
では、人々は何を見ているのでしょうか。それは、何を大事にしている組織なのか。そこに共感できるかどうか。人はそうしたことを判断材料にして選ぶようになっています。
そしてこれからは、対話と協働によるビジネスの時代です。価値を一社だけでつくるのではなく、顧客も非顧客も地域社会もあらゆるステイクホルダーを含めて、共感した人たちが集まり、関わり、一緒に何かを生み出していく。そうした多様な関係の網の目のなかから、新しい価値が立ち上がります。
そのとき、人が集まる中心にあるのがフィロソフィです。
相手によって、語り方を変える
フィロソフィを伝えるときに、一つ重要なことがあります。
同じ文章を全員に配っても、伝わりません。
顧客、取引先、社員、採用候補者、メディア、行政。相手によって、関心のある入口が違います。フィロソフィそのものは一つでも、どの面から語るかは相手ごとに変わります。
先のワークショップでも、ここが大きな発見でした。相手に応じて語り口を変えると、伝わり方の幅が一気に広がります。同じフィロソフィから、複数の物語が生まれます。
つまりフィロソフィは、覚えて唱えるものではなく、語り直せるものである必要があります。
フィロソフィは、伝えるための道具ではない
ここまで、伝わらないという問題から書いてきました。
しかし、フィロソフィの役割はコミュニケーションの問題だけにとどまりません。
フィロソフィはものの見方です。存在理由です。何を大事にするかが定まると、日々の判断が変わります。何を選び、何を選ばないか。その基準になるからです。基準が組織で共有されていれば、判断は速くなり、価値観が共有されていくことになります。
外部に向けて語れるフィロソフィは、内側に向けても機能します。逆に、内側で使われていないフィロソフィは、外側に向けて出しても伝わりません。日頃しゃべりなれていないことが、相手にわかるからです。
だから、ことばをつくるところで終わりにはできません。対話を重ね、社員一人ひとりが自分のことばでフィロソフィを語れるようになる。そのプロセスを用意することが、欠かせません。
フィロソフィ・コミュニケーションは、企業のフィロソフィをことばにする会社です。



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